高岡市〜氷見市

(2000年7月10日)

高岡市内から伏木に向かう途中で路面電車を撮影。金沢では子供の頃に廃止になっているので珍しく感じました。

 金沢から車で国道8号線を経由して約1時間20分かかります。高岡市の伏木という富山湾に面した港町にあります。JR伏木駅の近くです。

 しかし残念ながら、大修復工事中平成17年まで工事は続き立入禁止となっていました。5年後まで楽しみはとっておきます。門前にいわれなど書いた看板があったので、下記にその内容を抜粋し簡単に説明します。

勝興寺の歴史と宝物

1471年本願寺八世蓮如が北陸布教の途中、現在の富山県福光町土山に一寺を建て土山御坊と称した、これが勝興寺の前身である。
その後、二カ所ほど移転しそれに伴い勢力を拡張し、一向一揆の中心として活躍した。諸堂を焼かれることもあったが、1585年越中に入った前田利長は制札を与え安堵した。
この頃より勝興寺は加賀藩および本山と密接なつながりをもつようになる。本山、本願寺から、また加賀藩前田家からも代々養子や室を迎え、第18代に至っては6代藩主前田吉徳の八男を迎えたが、後に還俗して加賀藩11代藩主を襲封し治脩と名乗った。
このような勝興寺の格式や来歴を物語るものとして数多くの寺宝がある。武田信玄、浅井長政、豊臣秀吉、佐々成政、神保氏張等の文書、蓮如、顕如等の筆跡や文書は一揆活動華やかりし頃の好資料である。
絵画、工芸品は縁組の際持参された大名道具、公家調度品であり、洛中洛外の図、日月の図屏風を始めけんらん豪華な美術工芸品は往事の権勢の程を示す。

また、この寺には今も言い伝えられている七不思議があります。左はその立て札です。

@実ならずのイチョウ A天から降った石 B水の涸れぬ池 C屋根を支える猿 D魔よけの柱 E墨水のかれぬ硯 F三葉の松

勝興寺から車ですぐのところに雨晴海岸(あまばらしかいがん)があります。

ここに下記のような内容の看板がありました。
雨晴海岸と雨晴岩

二上山の山裾が富山湾に没するこのあたり一帯は、白砂青松と日本海では数少ない遠浅海岸の「雨晴海岸」です。
この岩は別の名を「義経雨はらしの岩」といい文治3年(1187年)に源義経が北陸路を経て、奥州下りの際ここを通りかかった時、にわか雨にあい、この岩の下に家来ともども、雨宿りをしたという伝説があり、また近在する女岩、男岩と共にこの海岸は秀景をなし、かつ越中国司として伏木に在住した青年歌人大伴家持もこの絶景を多く万葉集におさめています。

馬なめていざ打ち行かな渋渓の
     清き磯みに寄する波見に
                 家持

左は義経が雨宿りした岩。弁慶が積み上げて岩陰を造ったという伝説。現在はコンクリートで固められていました。
この日は天気も良く海も真っ青な色でした。

海の向こうに立山連峰があります。肉眼ではうっすらと見えました。季節によって綺麗にくっきりと見える時がるようです。とても透き通っていて綺麗な海でした。


雨晴海岸から立山連峰を

ここから、富山湾沿いに氷見市を経由して能登半島に向かって車を走らせました。氷見までの海岸線は白砂の綺麗な海水浴場が続き、この日はもう多くの若者が泳ぎや甲羅干しをしていました。

氷見では「道の駅」「海鮮館」になっていて、地元でとれた魚介類の直売や新鮮な魚をメインにしたレストランがありました。
少し遅い昼食をここでとりました。刺身定食1,200円は美味しくお得でした。

氷見を過ぎてから途中で「石動山」道路標識があったので、海から別れて山の方に向かいました。ここからは石川県に入っていくので、また石川県の能登編に載せます。