石動山
(せきどうさん)

(2000年7月10日)

 この日は富山県高岡市の伏木より氷見市を経由して富山湾沿いに能登半島へと向かいました。氷見を過ぎてしばらく車を走らせると、左に「石動山」という標識があり、海から山の方へ向かいました。

歴史

 まず最初にこの山の歴史を簡単に説明します。

 石動山能登と越中の国境にある信仰の山です。標高は565bあり国の史跡になっています。山全体に古代・中世の遺跡があり、最盛期には360坊・3000人の衆徒を擁していたそうです。

 古代の全山を振動させたイスルギの伝説から始まり、次に白山信仰泰澄伝説が現れ天台の寺院になりました。鎌倉時代には伊須流岐比古神社五社権現ともいわれるようになり、京都の仁和寺を本寺とする真言寺院にかわったそうです。その後、「天平寺」という寺号を唱えました。

 南北朝時代、1335年足利尊氏が挙兵したさい、近郷の武士達がこれに呼応し建武政権に反旗をひるがえしたとき、石動山は建武政権方の越中守中院定清とともに運命をともにして焼け落ちました。

 戦国時代末期、1582年にも、能登の旧守護畠山氏配下のものが本能寺の変の信長の死を機会に失地回復をねらい、この石動山を拠点として反乱を起こしました。しかし、前田利家軍の焼き討ちにあい、阿鼻叫喚の修羅場となりました。衆徒の首級は1000余、山門にさらされ、この焼き討ちはかつての信長の比叡山焼き討ちにも匹敵するほどの悲惨なものだったそうです。

 その後加賀藩の手で再興が進められて72坊が復活、前田利家は社領として百俵を与え、三代利常はさらに百五十石を寄進しました。しかし、やがて58坊に減ったそうです。

 明治にはいると廃仏毀釈によって建物は毀され、寺宝は売り払われ、衆徒はちりちりに退散し、現在は旧観坊だけが昔の面影を伝えています。

パノラマ展望台

 この石動山は石川県にありながら、なんと初めて訪れるところです。ほとんど、何も知らないので案内標識をあてにして向かいました。途中、パノラマ展望台という標識があったので、最初にそこに行きました。

  車を走らせ道路が行き止まりになったところに、急な階段状の登山道があり登りついたところに丸太で造った展望台がありました。そこからはまさにパノラマ、先程まで走っていた富山湾は一望できるし、なんと七尾や能登島まで見ることが出来ました。また、石動山の頂上付近の姿も間近に見えました。


丸太の展望台


うっすらと富山湾が見えます。


石動山頂上

 パノラマ展望台から元の道に引っ返し、石動山の方に向け走らせました。途中には案内図や謂われを書いた看板などがあるし、遊歩道、休憩所、トイレなども整備されており、これまで知らなかったのが不思議なくらいです。せっかく綺麗に整備されてもPRが足らないのでしょうか。でも、あまり多くの人が来て荒らされるのも考え物だし、自分としてはこれでいいと思いました。ちょっと、人に知られていないいい場所を発見した嬉しい気分です。

旧観坊

 しばらく、行くと「旧観坊」という茅葺きの古い建物がありました。下記がここの看板に書いてあった説明です。

旧観坊

 明治初年、一山崩壊の運命にみまわれた石動山に残された唯一の坊である。
 建物規模は、桁行十間半・梁行六間で、平入りで入母屋造り、茅葺きで、農家風の構えをもっているが、絵様舟肘木や化粧捶にかつての寺坊としての格式を示している。
 旧観坊は、慶安二年(1649)書上帳に見えるほか、寛文・元禄・宝暦の書上などに記載されている古い寺坊の一つである。
 建築年代は、江戸時代末期と推定される。

左が「旧観坊」茅葺きで素朴な建物でした。


旧観坊を横から見たところ


また、ここには多くの坊の跡がありました。
   

伊須流岐比古神社

また、しばらく行くと伊須流岐比古(いするぎひこ)神社がありました。ここのまわりにはいろいろな坊の跡や、五重の塔の跡まであり、かつてのその規模の大きさがうかがえます。


拝殿


古い石の階段

動字石

拝殿から少し下りたところに、この山の名前の由来となった「動字石」がありました。

動字石

 動字石は、古縁起・新縁起の中で、石動山という呼名の由来として書かれており、古くから石動山信仰のシンボルとして崇敬されている。
 また、古絵図には厳重な柵で囲った動字石が描かれ、能登名跡誌には「此山は、天より星落ちて石と成、天漢石と号す。今講堂の前にあり、開山泰澄大師養老二年登山前は、石ゆるぎて山振動してあれしに依り石動山と云り」と記されている。
ちなみに、この石は隕石ではなく安山岩である。


小さな鳥居の中に


これが、動字石。

 帰りはここから石川県鹿島町の二宮という所に下って帰りました。

 ここは、初めて訪れた所ですが、奥深い歴史にあふれるロマンの山という感じでした。まだまだ、一回だけでは散策しきれないので、何回も訪れてみたいところです。また、ハイキングコースとしてもいろんなコースが楽しめそうでとっても良いところでした。帰ってから歴史を調べてみるとおもしろくなりました。でも、ここで地獄絵図のような出来事もあったかと想像すると、恐ろしくもなりますが・・